当山は平安時代、嵯峨天皇の弘仁12年(西暦821年)に弘法大師が国家の安全と国民の幸せを祈るために開かれた道場で、本尊不動明王及び脇侍の矜羯羅(こんがら)童子・制吒迦(せいたか)童子との御三体は、大師一刀三礼の霊像としてうやまわれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。
新年 明けましておめでとうございます
弊社の2020年の目標は「進化」です
これまで40年の自分たちの経験を活かし
より積極的に、より情熱的に
社会の多様なニーズに対応していきたい所存です
本年もよろしくお願い致します
TAU設計工房 小宮歩
元旦
一発目のブログはいつも大変お世話になっている大阪/瀧谷不動明王寺・住職様の護摩供(ごまく)写真から紹介
大阪出張も8年目、2013年から進めてきた現在工事中の案件をご紹介
大阪府富田林市、日本三不動の一つ、約1200年の歴史ある瀧谷不動尊さまの客殿&寺務所建替え工事が進行中
瀧谷不動尊縁起
当山は平安時代、嵯峨天皇の弘仁12年(西暦821年)に弘法大師が国家の安全と国民の幸せを祈るために開かれた道場で、本尊不動明王及び脇侍の矜羯羅(こんがら)童子・制吒迦(せいたか)童子との御三体は、大師一刀三礼の霊像としてうやまわれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。
もとは、今の境内から南約1kmの嶽山の中腹にありましたが、正平15年(西暦1360年)足利義詮の嶽山・金胎寺城攻めに焼かれ、この時、本尊と両童子はお滝の下に移されて難をのがれました。その後どこからともなく一人の目の見えない老僧が現れて、御本尊の霊験を説き、人々にすすめて小堂を建てて日夜礼拝していましたが、たちまち晴眼となって、いずくともなく立ち去ったといいます。これは弘法大師が御本尊の霊験あらたかなことを教えられたのであると、にわかに眼病平癒の霊像として信仰されることとなりました。その後寛正4年(西暦1463年)畠山政長・義就の嶽山合戦に再び兵火にかかりついに今の場所に移り、次第に復興し今日に至っています。
(瀧谷不動尊HPから抄出)
境内全体図より 真ん中右寄りに位置するのが事務所・客殿・講堂棟 ここをやり替えております!
昨年事務所棟は1期工事で完成、オープンしました
今年2020年には隣で工事中の客殿棟が完成予定、 その後外構工事を経て 令和三年には開創1200年の落慶式を兼ねた大祭を予定してます。初めてお話頂いた頃からほぼ10年の一大プロジェクト!総仕上げの年です
全体完成予想CGより
2期まで完成すると、地上3階、地下1階で延べ約3000㎡の鉄筋コンクリート造の建物。内部は寺務所、集会所、内陣、客殿、収蔵庫等で構成されてます
現在工事中の客殿棟の様子
客殿棟には大広間や仏間などの内陣、身内のお坊さんのための宿泊施設、大規模な駐車場や倉庫など設置されます
客殿棟内部の完成イメージCG
内陣の完成予想CG
施工:創業430年!の社寺建築の松井建設株式会社さん
今年は客殿棟いよいよ完成です!!
今年は他にも様々な案件が進行中
武蔵野市内にて工事中の認可保育園の様子
他にも保育施設やグループホームなどの福祉施設が工事&計画中
熊本では市内に大規模な商業施設を計画中
住宅案件も元気に進行中でこれまでの40年を洗練させて 新しい分野での挑戦も含めて進化していければと思います。本年もよろしくお願い致します!
6日より始動しますっ!!!
建築に関するご相談は無料で承ります。お気軽にご相談下さい。
出来る限り適切なアドバイスをさせて頂きます。